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February 2004

2004.02.29

NHKスペシャル『よみがえる教室』を見て

 昨日2月28日に放映されたNHKスペシャル『よみがえる教室~ある校長と教師たちの挑戦~』を見た。茅ヶ崎市立浜之郷小学校の授業づくりの様子が取り上げられており、興味深い内容であった。初代校長である大瀬敏昭さんが、末期がんを宣告されながらも最後まで授業に取り組んでいた姿、そして大瀬校長が亡くなった後のお別れ会で子どもたちが涙を流す姿は、非常に感情的であった。

 だが、私はこの番組を次の二点から批判したい。
 第一に、浜之郷小学校の具体的な取り組みがよくわからないのである。番組からわかるのは、会議や雑務を減らして年150回の公開授業を行ったことと、教師が子どもの話をよく聞くようにしたということだけだ。それで学級崩壊や不登校がなくなったと言われても、何が効果をもたらしたのかがわからない。
 第二に、学校改革と校長が末期がんと闘う姿とが、きちんと分けられずに取り上げられていた。これでは、多くの視聴者の印象は、「学校改革は命懸けでやらないとだめだ」ということになるであろう。人生の最後を仕事に捧げた大瀬校長は、素晴らしい。だが、そのことと、学校改革の内容とは別の問題である。素晴らしい学校改革を命を捧げずに成功させれば、そのほうが素晴らしいはずだ。学校改革と命懸けの姿とを重ね合わせて描くことは、危険である。

 また、番組中に描かれていた浜之郷小学校の実践についても、疑問をもった。それは、血のつながらない親子の幸せを取り上げた4年目の教師の道徳授業のあり方についての疑問である。この教師は、「血のつながらない親子は幸せなのか」という問題を問うことを、授業中に躊躇した。しかし、大瀬校長が授業中に介入し、子どもたちにこの問いを投げかけ、子どもたちと話し合った。検討会でも、4年目の教師が変わることを求める意見が集中した。
 この学校では、授業中、教師が子どもの話を聞くことを重視しているという。しかし、描かれた教員同士の議論を見る限りでは、校長や先輩教師は、4年目の教師の話を聞くというより、自分たちの考え方を理解させることばかりに力を注いでいるように見える。
 ここにあるのは、「よいことなのだから、受け入れなさい」という考え方である。発問できなかった教師は、その場で何かを感じ、発問に踏み切れなかったはずだ。だが、校長や先輩教師が「発問するのが正しい」という態度を取ってしまえば、授業者に何が起こっていたかがわからなくなってしまう。
 これでは、同じような価値観をもった教師たちばかりになってしまい、教師たちの多様性が失われてしまう。
 以上はあくまでも番組で見た中でだけの印象であるが、「よいことなのだから、受け入れなさい」という考え方では、カリスマ指導者とその信奉者という構造での学校づくりしかできない。このことを、強調しておきたい。

2004.02.28

総務省の地上デジタル放送政策は根本的に間違っている

 昨年12月1日、地上デジタル放送が、一応始まった。「一応」と書いたのは、視聴可能地域が東京・愛知・大阪等の一部地域にすぎず、しかもいくつかの民放局がハイビジョン番組を送出できない状態でのスタートだったからだ。
 総務省は、2006年までに全国で地上デジタル放送を開始し、2011年には現在の地上アナログ放送を停止すると発表している。だが、2011年のアナログ放送停止など、とうてい不可能であろう。
 2000年12月に始まったBSデジタル放送の普及について、総務省は当初、「1000日で1000万世帯」を目標に掲げていた。だが、この目標は半分以下にとどまった。「スカパー!」と違ってチューナーが高価なままだったのに加え、番組内容に魅力がなかったからである。
 総務省は、BSデジタルの失敗に懲りていない。懲りていれば、こんなに無理をして地上デジタル放送を導入するはずはなかった。地上デジタル放送は、基本的に地上アナログ放送と同じ番組を、一部ハイビジョンにしたりデータ放送をつけたりして行う放送である。当面は、地上デジタル放送でなければ見られない番組はない。現状では録画もたいへんだし、4月からはコピー制限がかかり、ダビングもDVDに焼くことも難しくなる。このような地上デジタル放送が、2011年までに普及すると考える根拠は、いったい何なのだろうか。
 なお、地上デジタル放送の放送開始地区が限られているのは、アナアナ変換という作業を国が膨大な費用をかけて行っているからである。各家庭のテレビやビデオのチャンネル変更の費用を国が出すなどというのは、言語道断だ。十分な周知期間を取り、首相が国民に直接訴える等の手段をとって、時期を決めていっせいにチャンネル切り替えを各家庭で行ってもらえばよいではないか。せめて、チャンネル変更のボランティアを募集し、支援する等のことを国がやればよい。こういうものは政府がやらないほうがずっと効率的なのだ。(アンテナをつけかえざるをえない家庭については、アンテナ交換費用を請求させ、のちに還付すればよい。)
 ともかく、地上デジタル放送は始まってしまった。スケジュールは見直すにしても、地上デジタル放送を育てていく必要があるであろう。だが、そのためには思い切った策が必要だ。
 私が考えるのは、多チャンネル化を活かし、「全国の全地上局の番組を全国で視聴可」にすることである。高速交通が発達し、インターネットも普及している現在、日本は心理的にはとても狭くなった。だが、テレビだけは、他地域のローカル番組の視聴ができないのである。全国各局に標準チャンネル1チャンネルを割り当て、ローカル番組はそれぞれ放映する。全国ネットの番組のときには、系列のどの局を見ても同じ番組が流れ、もとがハイビジョンならハイビジョンになる。ただし、CMは地域ごとに変えてもよいだろう。
 これでは東京キー局ばかりが生き残ると思われるかもしれない。だが、各地で売れている新聞がローカル紙である現状を見れば、地域情報のニーズは高い。県域を越えた合併を進めつつ、各地の局が独自性を出していくことは可能である。当初はチャンネルの確保が無理だが、アナログ放送をやめるまでに段階的に進めていくことは可能だ。
 全国どこにいても全国の放送が見られるなら、「地上デジタルを見たい」と思う人は激増するはずだ。自分の出身地や知人のいる地域のローカル番組をそのまま見られるなんて、なんと魅力的ではないか。(名古屋では、TBS系やフジ系の全国ネット巨人戦が放映されず、中日戦が放映されることが多かった。このような場合、たとえ「スカパー!」に入っても、トップ&リレー中継しかなく、中心の時間が見られないのである。私が名古屋に住んでいたときの最大のストレスは、東京のテレビが見られないことであった。このような思いをする人は、きっと少なくない。)


 

さらば、ep、プラットワン

(たぶん一部の人にしかわからない言葉が多いですが、説明しきれないため、言葉の説明は基本的に省かせていただきます。)
 110度CS放送で、整理統合が進んでいる。
 家電数社が連合して始めた蓄積型データ放送「ep」が蓄積型データ放送からのデータ放送からの撤退を発表、チューナーの返却を希望する会員にはチューナー購入価格全額を返金する。
 他方、「プラットワン」と「スカパー2!」に分かれていた2つのプラットホームが、「スカパー2!」に吸収合併となり、「スカパー110!」として再スタートする。
 私はここ数年、ややマニアックにこうした各種デジタル放送に加入し、視聴してきた。せめて、それぞれの試みがどんなものであるかを、きちんと見ておきたいと考えてきた。
 「ep」については、チューナーを設置したその日に、蓄積型データ放送はダメだと感じた。数分のビデオクリップが見られるものが多かったが、基本的にテレビ視聴は30分とか1時間くらいずっと映像が流れているのがいい。数分ごとに番組を選ぶなど、やっていられない。だいいち、番組内容も陳腐で、わざわざ選んで見たいものではなかった。
 それでも、「ep」のチューナーであるepステーションは我が家で大活躍した。BSやCSの番組を画質を落とさずにハードディスクに記録できることで、ようやくBS/CSのデジタル放送を本格的に見ることができた(たくさんのチャンネルがあるのだから、とりあえず録画しておいてあとで見るほうが現実的なのだ)。SBCの実験的ドラマ「スジナシ」をBS-iで楽しんだり、WOWOWの映画をハイビジョンで見たり、TBSの名作ドラマをCSで見たりするために、epステーションは大いに働いてくれた。(他にも同等以上の機能をもつチューナーがあったが、当時はepステーションよりずっと高価だった。)
 「プラットワン」と「スカパー2!」は、最初から分かれている意味がなかったように思う。両者が一体となって先行の「スカパー!」のように戦略的に進めていくべきだった。たとえば、「スカパー!」ではさまざまなチャンネルを駆使してプロ野球やサッカーを大量に放送してくれるが、「プラットワン」+「スカパー!」では見られる試合が限られる。たとえば、私の地元の千葉ロッテのホームゲームは、「スカパー!」では全試合中継されるのに、、「プラットワン」+「スカパー!」では全然見られないのである。
 統合後のチャンネルやパックの再編はまだ発表されていないが、「スカパー!」で売り物にしていることを「スカパー110!」でもできるようにしなければ、結局私たちは「スカパー110!」を見ずに「スカパー!」ばかりを見ることになってしまう(不便だ)。さらに言えば、これまで専門チャンネルしか放送していない日本テレビが、過去のドラマやバラエティを集中して放送する「日テレチャンネル」を始めることを切望している。
 それにしても、110度CSの関係者は、なぜこう視聴者の実態をあまり理解せずに事業を進めてしまうのだろうか。体質が変わらなければ、「スカパー110!」の前途も暗い。

2004.02.27

環境教育で大切なこと

 このところ、環境教育(エネルギーも含む)について話をさせていただくことが重なっている。
 PTPという会社がNPO法人企業教育研究会と連携して、「エネルギー体感授業(エコエネ授業)」を展開している。子どもたちが自転車発電機をこいで電気製品を動かすことを通して、どんな製品がどの程度の電力を消費するかを、からだで理解していく授業だ。100W以上のテレビが短時間ならついたり、小型のドライヤーが実は1000Wもの規格で全然動かないなど、「電気」についての子どもたちの常識が裏切られる。
 環境教育で重要なのことの一つは、「すべて節約」「すべてやめる」というような極論に走らず、実態に正確につかみ、戦略的に改善をはかることを学ばせることだ。「何もかも節電」ではなく、「無駄の大きいところで重点的に節電」ということが必要なはずである(「何もかも節電」など実効性がないのだ)。このために、エネルギー体感授業のような実践が必要である。
 もう一つ、強調したいことがある。それは、「子どもたちの人数の多さを活かす」ことだ。10人の授業と100人の授業があったら、100人の授業のほうが効率が悪いと思う人がいるかもしれない。だが、100人なら最低10倍、互いの相乗効果があれば数十倍の成果が出てよい。たとえば、100人の子どもたちが手分けして地域の環境を調査して情報交換すれば、単に情報量が10倍になるだけでなく、互いに触発されて数十倍の「学び」が生まれるはずだ。
 環境問題は、モノも人もエネルギーも、何もかもを無駄にしないという発想でのみ解決に向かう。10人でもできることを100人で行うような授業では、環境教育的ではないのである。
 最後にひとこと。子どもたちに「今できること」ばかり強調する環境教育は、問題である。子どもたちが大人になる10年後あるいは20年後に何ができるかを考えさせることが、環境教育の課題であるべきだ。子どもがすぐに解決できることなど、そうない。長期的な視野で環境問題に貢献できるような大人になることこそが、子どもがすべきことなのである。

利他的な夢

 今日、「キャリア教育」についてのインタビューを受けた。NPO法人企業教育研究会で進めている企業と連携した授業づくりは、非常に挑戦的なキャリア教育でもあるのだ。
 こうしたインタビューで私は、「利他的な夢」という考え方について話すことにしている。(詳しくは『授業づくりネットワーク』2003年10月号、「基礎からの授業づくり入門」第7講参照)
 学校や家庭で、子どもたちは将来の進路について、「あなたは何がやりたいの?」と問われる。だが、何がやりたいかがわからない子どもが多い。自分の中を探れば探るほど、何がやりたいかわからなくなる。
 仮に、やりたいことが見つかったとしよう。でも、それがただ単に自分が好きなことという程度では、問題が生じる。その好きなことに向かおうとして歩み始めても、困難にぶつかると「やはり自分はこれがやりたいわけではなかった」と思ってしまうのだ。(典型的には、「子どもが好きだから」と教育学部に入った学生が、大学の授業で学校現場の難しさを知るとすぐに、「自分は教師には向いていない」と教師への夢を捨ててしまうということが多い。)
 単に自分だけのために描く夢を、私は「利己的な夢」と呼ぶ。この「利己的な夢」はくじけやすい。必要なのは、「利他的な夢」である。すなわち、「自分は好きなことを通してどのように社会、他人に貢献できるであろうか」という問いに答えられるような夢である。
 逆説的なようだが、企業にいる人たちには必ず「利他的」な面がある。顧客満足等々を考えなければ、どんな仕事も成り立たないのだ。子どもたちが企業の人たちに接し、「利他的な夢」を描けるようにすることが、NPO法人企業教育研究会の進める「キャリア教育」なのである。

吉田孝さんにご紹介いただきました

 吉田孝さんのホームページ「吉田孝の教育、音楽、コンピュータ」の「吉田からのメッセージ」で、このホームページのことをご紹介いただきました。相互リンクも張らせていただいています。吉田さんのページ、情報満載です。皆様ぜひご覧ください。

第9回ディベート甲子園論題発表

 全国教室ディベート連盟と読売新聞社は、今年7月31日から8月2日に開催するディベート甲子園(第9回全国中学・高校ディベート甲子園の論題を発表しました。以下です。

中学 日本は救急車の利用を有料化すべきである。是か非か。
    *有料化とは一回の利用につき定額の支払いを義務づけることとする。

高校 日本はすべての原子力発電を代替発電に切り替えるべきである。是か非か。
    *切り替えは2020年までに実施することとする。

 私は、この2月から全国教室ディベート連盟の事務局長に就任し、この大会の運営にも携わることになっています。多くの学校に参加していただけるよういくつかのアイデアを用意していますので、ご期待ください。また、全国大会当日には多くの参加者の方々にディベートを楽しんでいただけるよう、準備を進めています。
 なお、各地区大会参加校は、地区大会参加申し込みから地区大会終了まで、読売新聞の記事データベース「ヨミダス文書館」を無料で使用できるという特典があります。(全国大会出場校は全国大会終了まで使用できます)これをご覧の中学・高校の先生方や生徒さん、データベースをフルに活用して「救急車」や「原子力発電」について研究してみませんか?
 なお、本日の論題発表とともに、全国教室ディベート連盟のホームページもリニューアルとなりました。ぜひご覧ください。

2004.02.26

スギの木を大量伐採せよ

 私はここ数日、眠れない。重度のスギ花粉症なのである。まだ「花粉症」という言葉のなかった子どもの頃から、この季節にはつらい思いをしてきた。いろいろな治療法を試したが、ごまかしごまかしこの季節をやりすごすしかない。
 テレビでは毎日「スギ花粉情報」をやっている。だが、こんなものを見てもむなしいだけだ。
 花粉症は人災である。問題のスギは、戦後に大量に植林されたものだというではないか。多くの人が花粉症の被害に遭っているのだから、スギを大量に伐採するくらいの政策を、どこかの政党なり知事なりが打ち出してもよさそうなものである。大量伐採なんて自然破壊などと思わないでほしい。人工的に植えたスギなら人の手で伐採して、伐採した木材を有効に活用すればよいのである。スギよりも人間が大切にされる世の中であってほしい。

たばこを1箱1000円にせよ

 非喫煙者であり、ノドも鼻も強くない私にとって、たばこは本当に嫌な存在である。世の中、分煙が進んできたとは言え、まだまだ次のような問題がある。

・新幹線では禁煙車が端にあり、車両を移動するときに喫煙者を通らなくてはならないことがある。
・JRの駅のホームの中央付近にはなぜか喫煙スペースがまだあり、たばこの煙の中を歩かねばならない。
・駅の構内等、全面禁煙のところでも、なぜか禁煙のサインが小さく、平気で喫煙する人がいる。
・エラい人と飲食する際、当たり前のように喫煙されると、文句が言いづらい。
・おいしいラーメン屋があるのに、禁煙席がないため、たばこの煙を吸いながらラーメンを食べなければならない。
・子どもとファミリーレストランに行き、禁煙席にすわるのだが、隣の喫煙席からたばこの煙が流れてくる。

 歩きたばこで子どもが危険な目に遭ったり、肺ガンで医療コストが上がったりしているという問題もある。中学校等の現場では、喫煙する生徒への指導に先生方が手を焼いている。
 もちろん、たばこを吸いたいという人がひっそりと吸うなら、それも悪くないだろう。だが、私たちの社会は、もっとたばこを吸いにくい社会になるべきだ。JRさん等々にもっと努力してもらうのは当然だが、基本的にはたばこの価格を上げるしかあるまい。税込みで1箱1000円程度が、適切な額ではないか。

東京湾アクアラインを700円にせよ

 私は千葉市に住んでいる。首都高速が混雑しているときには、神奈川・静岡方面に行くのに東京湾アクアラインを使うと速い。
 だが、アクアラインは高い。ETCでも2300円もする。首都高の700円と比べると、高すぎる。
 もちろん、アクアラインの建設には膨大なコストがかかったから高いという理屈があるのだろう。だが、「いくらとる必要があるか」でなく「いくらなら払ってもらえるか」を考えるのが、商売の大原則ではないか。
 アクアラインの存在意義は、首都高の混雑緩和に貢献することであるはずだ。だったら、首都高と同じ700円で通れるようにすべきである。そうすれば、アクアラインの利用は大幅に増えるはずだ。どうせ大赤字なのだから、せめて首都高の混雑緩和にひたすら貢献する道となるべきなのだ。

非ETC車の高速料金を2倍にせよ

 ディベート教育に関わっていることもあり、さまざまな分野の政策が気になる。気になることを、ときどき書きたいと思う。
 私は、自分の車にETCをつけている。料金所が混んでいるときにもすいすい通れて、快適である。取り付けには2万円ほどかかったが、5万円前払いの大幅割引のおかげで、すでに元は取っている。
 だが、ときにいらいらさせられることがある。それは、料金所があまりにも混んでいて、ETC車であっても非ETC車のカベにはばまれて渋滞に巻き込まれてしまうときだ。
 今やすでにETCをつけないことは、「わがまま」である。多くの車がETCをつけていれば、料金所渋滞は起こらない。渋滞は、エネルギーを浪費し、不必要な排気ガスを出し、乗っている人をいらいらさせる。車に乗るなら、どうせある程度の費用がかかる。どの運転者も、2万円程度なら拠出して、料金所渋滞のない高速道路を実現すべきなのだ。
 もちろん、「そんなことより高速道路無料化だ」という議論もあろう。無料化ならそれもけっこうだ。しかし、無料化をしないなら、すべての車にETC装着を義務づけるべきである。
 ETC装着が無理なら、非ETC車の高速料金を段階的に値上げし、数年後にはETC車の2倍程度まで上げればよい。環境や人心にコストをかける非ETC車に乗りたい人は、それなりのコストを支払うのである。「ETC車の首都高速夜間割引」などというレベルではなく、料金に差をつけるなら大胆にやるべきである。日本道路公団はじめご関係の皆様、ぜひご検討を。

中京テレビに出演予定

 先日、名古屋の中京テレビで行われた「中学生フォーラム」というイベントに参加させていただきました。中学生がテレビについて意見を言い、中京テレビのスタッフや私が加わって議論するイベントです。ディベートを学んでいる中学生が多く参加したこともあり、面白い論点が出されました。
 このイベントの模様が、以下の番組で放映されます。中京テレビのみの放映なので、私も直接は見られないのですが。ご覧になれる方、ぜひご覧ください。

2月29日(日)午前5:30~5:45「あなたと中京テレビ」(15分番組)にて。
3月25日(木)午前11:00~11:25「中学生フォーラム~テレビと話そう~」(25分番組)

「裸」よりも「さくらんぼ」

 『授業づくりネットワーク』4月号(3/13発売)から、私の連載「歌謡曲の教育学」が復活します。
 復活第1回に何を取り上げようか、少し迷いました。今大ヒット中の平原綾香「Jupiter」や河口恭吾「桜」は、「授業づくりネットワーク会員版」というニュースレターの連載で取り上げてしまったからです。
 直前まで、Vo Vo Tau「裸~Nude~」を取り上げようと思っていたのですが、結局、大塚愛「さくらんぼ」にしました。ロングヒット中の「さくらんぼ」のほうが、時代の変化を写していると考えたのです。
 詳しくは、『授業づくりネットワーク』4月号をお楽しみに。

教務主任・研究主任の役割

 ある雑誌から、教務主任・研究主任の役割について執筆を求められています。私は、こうした人たちが学校の授業づくりに果たす役割は非常に大きいと思っています。この点について、情報を求めます。ご意見や事例等、ぜひお寄せください。

2/28千葉授業づくり研究会

 2/28(土)、私が理事長をしているNPO法人企業教育研究会主催の「千葉授業づくり研究会」があります。戦場カメラマンの森口康秀さんをお迎えし、お話をうかがいます。現在進めているいくつかの授業のレポート発表もあります。ぜひご参加ください。

吉田孝さんの批判に対して

 『授業づくりネットワーク』2004年3月号に「評価」の問題を書いたところ、吉田孝さんのホームページ内「吉田からのメッセージ」で批判をいただいた(2/18付)。国立教育政策研究所教育課程研究センター「評価規準の作成、評価方法の工夫改善のための参考資料」についての私の議論が、吉田さんの批判の対象である。
 この吉田さんの文章で、私に対する批判は2点である。しかし、1点めの「この文書は『報告』ではない。参考資料である。」という部分については、吉田さん自身が翌日の文章で撤回している。とすると、残りは次の点だ。引用する。

「このような評価を実際に行うためには、教師は毎時間数十から百以上の項目の評価を記録し、それを単元を通して集計しなければならない。かなり手間をかけて評価を行うことが求められているのがわかる。毎時間個々の子どもについてのデータを集め整理しなければならない。多忙な教師には過剰な負担であり、実行性は乏しい」
ここで、藤川氏は算数の例をあげている。算数については私は直接関わっていない。しかし、考え方はどの教科も同じである。藤川氏のこの文も誤解に基づいている。藤川氏がとりあげている事例でも、実際に1時間の授業でかかげている具体の評価規準は2つに過ぎない。どうして「数十から百以上」になるのか。この具体の評価規準によって「おおむね満足できない」児童、すなわち「C・努力を要する」児童と、「A・十分満足できる」児童について記録しておけばよいのである。あとの児童は「B・おおむね満足できる」のである。

 一応、反論しておく。1時間の授業で掲げられている評価規準は2つか3つである。それを40人学級のすべての子どもについて評価すれば、80項目から120項目の評価項目があることになる。もちろん、CとAだけを書いてあとは書かないというのであれば、実際に書く項目は少ないかもしれない。だが、それは書き方を省力化しているだけで、評価項目が減るのとは違う。
 さらに吉田さんは「藤川氏の文には他にも誤解に基づく箇所がある」と書く。もちろん、私は誤解などしていないつもりである。しかし、吉田さんはこれ以上書いていないので、これでは反論のしようがない。いくらホームページだからといっても、このような書き方は不適切だ。
 細かすぎる評価項目の問題については、もっとしつこく主張していかねばならないと思っている。吉田さんだけでなく、ご関係者の皆様、ご批判があれば受けて立ちます!

日本小児科医会提言について

 先日来、「2歳までのテレビ・ビデオ視聴は控えましょう」等の日本小児科医会による「『子どもとメディア』の問題に対する提言」について、コメントを求められることが多くなった。
 子どものメディア漬けが深刻な問題であり、幼い子どもがテレビやビデオばかり見ている状態がよいわけはない。だが、授乳や食事の間にテレビがついていることまで問題とすることは行き過ぎではないか。極度のメディア漬けに警告を発しつつも、冷静な議論をすべきである。
 また、これに関連して、「ノーテレビデー」を推奨する活動が、NPO法人「子どもとメディア」等によって進められている。これも、家庭や任意のグループで行うなら、実験として面白い。だが、茨城県東海村や宮城県では自治体がこれに近い運動を進めているという(「子どもとメディア」主催の「子どもとメディア全国フォーラム」での参加者の発言より)。メディアについては、子どもの自己決定を進める方向で努力がなされるべきで、単純に「テレビ・ビデオを見ないようにしよう」というのでは、テレビ局や教材会社への営業妨害とさえ言える。
 「子どもとメディア全国フォーラム」では、「長時間メディア接触する中学生はそうでない中学生より体力が低い」といった調査結果が示された。しかし、メディア接触が短い中学生のほうに運動部に入っている中学生が多いと考えられるだけで、メディア接触が体力低下の直接の原因となっているなどとは言えないはずである。データが出ると新聞等はセンセーショナルに報道する可能性があるが、慎重に報道してほしいと思う。

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