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2017.05.28

いじめ防止対策としての学級解体論について

前のエントリーにもあるように、千葉県柏市で脱いじめ傍観者授業といじめ通報アプリを公立全中学校で導入することが発表され、各所で報道されています。私は、脱いじめ傍観者授業のプログラムを監修するという立場で、この取り組みに関わっています。

この件に関して、評論家の宇野常寛さんとの間で少々やりとりをさせていただいています(下記参照)。

https://twitter.com/wakusei2nd/status/868498960037535745

論点がいくつかありますので、私なりに整理しておきたいと思います。

1. 宇野さんがおっしゃるように、学級のような閉鎖的な集団があることがいじめを発生させているということは疑いえないことであり、こうした集団に無理に所属させないようにすることがいじめ問題の改善に寄与すると考えられます。内藤朝雄さんのこれまでの議論にも通じます。

2. 学級の機能をいきなりゼロにすることは非現実的で、具体的な策としては、宇野さんがおっしゃるように、学校選択制、科目選択制、担任選択制、学級で取り組む学校行事の大幅縮小等と考えられます。こうした取り組みは基本的にいじめ防止に寄与すると思われます。しかし、こうした方向性について、以下3点を述べておく必要があります。

i) こうした方向をとっても、現実にひどいいじめが起きているケースはあります。特に学校選択制については、先進的に導入している東京都品川区でいじめによると考えられる自殺事案が連続して生じています。科目選択制の学校においては基本的にいじめは生じにくいようですが、科目選択制をとっている通信制高校でいじめられているという人もいます。限られた事例から学級機能を弱める方向がいじめ防止に寄与することが否定されるわけではないですが、学級機能を弱めることだけでいじめ問題が解決すると考えるのは単純すぎます。職業選択の自由があるはずの職場でいじめ=ハラスメントの問題が絶えないのと同じで、どんな制度をとったとしても、学校においていじめ対策は必要です。

ii) 学校選択制や教科選択制等については。実質的な選択を可能にするには学校や教員について豊富な資源が必要です。しかし、実際には国も地方も財政が苦しく、教育に豊富な資源を投入することは困難です。また、児童生徒や保護者が選択するにはそのために豊富な情報が必要であるはずですが、そうした情報を供給する仕組みの構築は困難です。この結果、選択制をとったとしても、選択の範囲が限定されてしまいがちです。

iii) 学級機能の縮小に関しては、学級が期待されている機能を縮小してよいかを検討する必要があります。学校から見れば、学級は担任教員によって児童生徒を管理する仕組みであり、他の児童生徒の考えに触れながら学習を進める場でもあります。児童生徒や保護者から見れば、学級は児童生徒が帰属する集団であり、人間関係を構築したり担任教員による継続的な指導を受けたりする場です。単位制高校でもホームルーム機能を重視するところが多く、大学や専門学校においても学級担任のような制度が近年重視される傾向があり、児童生徒や学生が帰属する集団は管理や相互扶助のために必要と考えられています。学級機能を縮小する議論においては、学級が期待されているこうした機能をどう考えるかについての検討が含まれるべきです。

3. 現状では、学級機能を弱める方向の議論は強く支持されているとは言い難く、今後議論を重ねるにしても推進していくには時間がかかります。そして、仮にかなりこうした方向での変化が進んだとしても、いじめの問題は残ると考えられます。ですから、学級機能をどうするかという問題とは別に、現に今起こりうるいじめについてどう対策するかが論じられる必要があります。私は教育方法学の研究者であり、授業プログラムや教材の開発を専門としていますので、現に今起こりうるいじめの防止に寄与する授業プログラムや教材の開発に取り組んでいます。具体的には、以下の点を重視した授業が必要だと考えています。

・学級内で互いの話をじっくり聞く機会を設けること。
・いじめや人間関係に関して、学校外の人と対話をする機会を設けること。
・「空気が読めない」「自分勝手」に見える態度をとっている人がいても、そのことを理由にその人に対して嫌がらせをすることは正当化されないということを理解できるようにすること。
・周囲で見ている観衆や傍観者はいじめの進行を止めることが可能であることを理解できるようにすること。自分の安全を守りつついじめを止める方向でアクションをとる方法はさまざまあることを理解できるようにすること。
・こうしたことを、陳腐で意図が読める教材でなく、ある程度以上のクオリティで新鮮な印象を与える教材を使った授業で実現すること。

私が関わっている取り組みについて詳しくは、以下に記されています。

▽千葉県市川市における地域住民参画によるいじめ防止授業の取り組み
http://ace-npo.org/fujikawa-lab/file/pdf/other/2014/2014fujikawa.pdf?cd=00116414
▽千葉県柏市における脱いじめ教育の取り組み(ブログ記事)
http://dfujikawa.cocolog-nifty.com/jugyo/2017/05/post-c45d.html
▽ソフトバンク及び企業教育研究会による「みんなで考えよう、ケータイ・スマートフォン」
http://ace-npo.org/info/kangaeyou/kyouzai/kangaeyou4.html

宇野常寛さんは私が敬愛する評論家であり、教育に関しても大いに示唆をいただきたいと願っています。私の著書『授業づくりエンタテインメント!』にもご登場いただいており、今回の件は『授業づくりエンタテインメント!』でも少し議論していたことの延長と言えます。今後、さらに議論させていただく機会があればと願っています。

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いじめ」カテゴリの記事

Comments

初めまして。
宇野さんとのツイッターでのやり取りを拝見させていただいて、興味を持ってここにきました。
自分も幾つか気になる事が出てきたので、ここに書かせていただきます。

2の「学級の機能をいきなりゼロにすることは非現実的」の「1.こうした方向をとっても、現実にひどいいじめが起きているケースはある」。
これについては私も同意見で、宇野さんもどんな制度を採ったとしても、選択制学校においても引き続きいじめ対策は必要で
学級制度さえ変えてしまえば以後いじめ対策は必要ない、とおっしゃられているわけじゃないと思います。
最大の原因が閉鎖的学級制度、押し込められ全体一括教育にあるのではないか、という議論だと思うんですよね。

「2.学校選択制や教科選択制等については。実質的な選択を可能にするには学校や教員について豊富な資源が必要」。
これについてはもう、社会主義国並みに税金が跳ね上がるのを覚悟して対策するしかないんじゃないでしょうか。
教育・子育てに優先的に力を入れなければこの国にも社会にも未来はないのですし、将来の事を考えたら行政の教育に対する予算投資の優先順位が低いってのもおかしな話であると思います。
例えば今経済発展めざましく世界に優秀な人材を送り込んでいるインドの成功は、教育という投資に勝利した結果ですよね。
先生がお好きらしいAKB48だって、今のうちから将来を支える研究生の若い子供たちに投資してちゃんと育てていかないと
10年後の未来にはグループの人気を支えるエースメンバーが一人もいなくなって潰れてしまっているかもしれない。
社会にも同じことが言えて、未来を支える優秀な人材を育てようと思ったら、投資は惜しむべきではないと思います。
どうせ税金を使うなら、死にゆく老人に使うよりそこにこそ使って欲しい。
老人は自分の資産で老後をなんとかして欲しいですね。
(もちろん、貧困層は高齢者であっても救済する必要があると思いますが、富裕層に必要ないお金を使って子供に使わない意味が選挙の票集めパフォーマンス以外の意味がわからない)

また、「そうした情報を供給する仕組みの構築は困難」とありますが、現在のネット社会においてさすがにそれは怠慢なんじゃないでしょうか。
というか、逆にネットを使ったSNSいじめ問題が深刻化している現代に、保護者と学校側のホットライン・セーフティーネットの主体が
相変わらずアナクロなPTA制度や電話連絡網のまま、っていう寂れた商店街の町内会制度の回覧板みたいな
昭和の体制のままで放置なのも、時代の実相とズレててすごく無理がきてる形式的なものなんじゃないかと思います。
この前の千葉で起こった児童誘拐殺人事件なんて、こういう町内会的PTA制度への妄信,形骸化から起きた事だと思うんですよね。
メスを入れるべきは保護者会側にもあると個人的には思います。

「3.学級機能の縮小に関しては、学級が期待されている機能を縮小してよいかを検討する必要がある」。
これは上の話とも重複しますが、まずその保護者の意識を変えるべきだと思います。
保護者側は学校と担任教師に過度に期待を寄せすぎです。
はっきり言って自分の経験上、先生の質にはムラがありすぎます。いい先生に当たるかどうかは、完全にくじ運任せです。
変な先生にあたってしまうと、そこでその子の人生お先真っ暗になってしまいます。学校やホームルームの支配力、影響力が強ければ強いほどにね。
だってたまに、教師もいじめに加担していた、生徒を咎めず一緒にヘラヘラ笑っていた、なんてニュースを聞くでしょ?
そういう悪質な担任教師に当たってしまった場合、ホームルームなんて単なる地獄の時間です。
公開処刑、教師の陣頭指揮によるいじめ学級裁判の時間みたいなもんです。
子供を裸にした教師、殴った教師、セクハラ教師や盗撮教師などもいるくらいですし、教師が必ず善人という前提にまず無理がある。

残念ながら金八先生みたいな名教師に偶然遭遇する確率って、現実は0に近いと思います。
世の中に、これだけ犯罪や悪質な大人が大量に跳梁跋扈しているし、それらもかつて学校教育を受けた人間なのですから、
教員だけは全員立派な人間で聖人君子である、って夢みたいな前提のもとでしか機能しない学級制度は、そもそも欠陥があると言わざるを得ません。
「運による出会い格差」が大きすぎます。
どんな教師に遭遇したか、どんないじめに遭って、どう対処されたかで、その子のその後の運命と人生が大きく変わってしまう。最悪、絶望して命を絶ってしまう子もいる。

その運格差を少しでも減らすためには、結局学校と距離を置いても生徒の人生が左右されない仕組み、学校に人生を依存しない仕組みを作るしかないのだと思うのです。
実は自分もかつていじめられていて、不登校でした。ですが義務教育時代はほとんど登校せずとも自習と学習塾で好成績を取ることは可能だし
受験進学には一切支障は出ませんでした。学校の教師って教科書の内容をただ読み上げて黒板に書いてるだけです。
つまり答えは全部教科書にあるので、実は別に先生の授業なんか受けなくったって勉強は誰にでもできるんですよね。
むしろおかげで自分で考える力がつきました。授業を受けていると考える力じゃなくて「どこからどこまでがテスト範囲」
「丸暗記」「言われたことをやる」「受験に備えるだけ」「校則(ルール)を守るだけ」なんですよ。
つまり機械的、リピートの単純作業に慣れる行為でしかない。それで育てられた子供って、だから考えなくなる、
指示待ち人間のイエスマンとして量産されるんだと思うです。

そういう人間が労働者として大量出荷されて、思考停止した大衆を形成して、今の窮屈で息苦しい相互監視的なSNS社会、
芸能人を叩いたり、週刊誌やワイドショーのネタで炎上させたり、ネット全体主義の形成やクレームハラスメンターやママ友いじめの生成基盤になってしまったと感じます。
安倍政権の支持層や日本人のトランプ信奉者、反グローバルの排外主義者や差別主義者も、そういう国内労働者層だと思うんですよね
共通するのは「みんなと同じことをやれ」「輪を乱すな」「黙って列に並べ」「上に逆らうな」「空気読め」という強烈な同調意識。
そして異端や異論、突出した個性を弾き出す。これまさに同調的学校社会、スクールカーストがルーツなわけです。

そういう、「働き蟻の群れみたいな無思考のロボット的人間」を作った方が労働力として確保しやすいし、官僚側や企業が求める使い捨て人材にぴったりだからでしょうが
そのおかげで日本の産業ってどんどんイノベーションを失っていって、国際競争力も失っていってるのだと思うのです。

SRさん、コメントありがとうございます。
いただいたご意見について、私は全面的に賛成です。ただ、私は30年以上学校教育の研究に関わってきて、お恥ずかしながら学校をどうやったらお書きいただいたような方向に変えられるか、率直なところわからないのです。
私としては、学校教育に近い立場に身を置き、学校が無理なく受け入れられるような新たな授業プログラムを作って提供することをやってきました。ディベート教育とかキャリア教育、メディアリテラシー教育等、それなりに学校現場に影響を与えられているものもあります。しかし、お書きいただいているように学校を変える力になっているとは思っていません。
いじめ問題に真摯に対応することは、学校のあり方を大きく変えることにつながるかもしれないと感じています。儀式的な授業、空気を読むことばかりが重視される学校文化といったものが、いじめを助長していると言えるからです。しかし、現状ではまだまだです。
その後のTwitterのやりとりを見ていただければわかると思いますが、宇野さんと私とでは意見の違いはほぼありません。私としては、宇野さんのような方に、具体的にどうしたらよいのかを一緒に考えてもらえればと思っているところです。

お返事ありがとうございます。
私も恥ずかしながら初めて藤川さんのことを知りましたが、とても勉強になりました。
人任せになってしまいますが、是非藤川さんのような方々にこれからも頑張っていただきたいです。
極論になりますが、個人的にはそもそも「義務教育」という存在自体に疑念を抱いています。
そもそも、日本人の歴史の中で義務教育成度というものがなかった時代の方がはるかに長いし、それでも当時の社会は滅びずに回っていたわけです。

もちろん、今の近代化した現代社会、国際競争力が必要になった社会状況と、江戸時代までの社会を一緒くたに考えることはできませんが、
だからこそ、時代時代で教育制度が変化しているように、今の教育制度もこのまま永久に続くわけではないし、永久に続くことが正解とは言えないと思うのです。

現在の教育制度も、戦前戦中戦後で何度も変わってきてはいますが、明治時代に国際競争力を得るために
鉄血政策的な富国強兵論、挙国一致体制で全体主義的な教育を施したこと、つまり軍人と労働力を育てたことが
悪しきベースになっていると思います。個性や自分の考えなど必要なかったし、むしろ邪魔だったんですよね。
ちなみに私の祖父も戦争体験者ですが、毎日のように東京に爆弾が落ちてくる中、率直に
「アメリカに勝てるわけない、みんな馬鹿だ。さっさと降参すりゃいいのに」と子供の感想を述べたら、鼻血が出て歯が折れるほど殴られたそうで、
戦時中は「この戦争は正しい。天皇は神だ。アメリカ人は悪魔だ」と言っていた教員が、終戦と同時に
「あの戦争は間違っていた。天皇は人間だった。アメリカ人は親切だ」に変わったのを見て、「大人は信用できない」と悟ったそうです。
なので、私の不登校にも「先生なんて信用できないよ」と理解を示してくれました。子供が考えない教育なのは、教員もルーチンワークで
「上からのお達し」をただ伝えてる組織のメッセンジャーでしかないからではないでしょうか?

昼間は家や図書館で自習ですが、私は早稲田の学生さんたちがバイトしてる学習塾に夜通っていました。そこでは楽しく勉強できたし
友達もできました。夜遅くまで語り明かしました。思えばこの場所があったから救われたし、今の自分の基盤を作った体験だったと思います。
はっきり言って学校の教師より早稲田の学生と話している方がずっと楽しかったし、勉強になったし、仲良くなれました。
これって重要なことで、思い返せば皆さんも好きだった先生は大抵若い先生か、教育実習で来た先生ばかりだと思うんです。
40、50代の教員に「10代を理解せよ」と押しつけるのも酷だと思うんです。
大半の大人が加齢で世代が離れるごとにジェネレーションギャップで若い世代を理解できなくなり始めるし、下の世代に対し
「最近の若い奴は〜」「◯◯世代は〜」と頭ごなしに決めつけてかかるようになります。

10代を一番よく理解できるのって、結局そのすぐ上の20代なんですよね。先生がお好きなアイドルグループの組織構造なんかでも
10代の若い世代の後輩を導ける限界年齢って、20代の先輩だと思うんです。最近では廃れた儒教的年功序列制のまだまだ根強い名残で
日本人てどうしても「中高年以上の方が、若い人より立派で信頼できる」と思いがちだと思うんです。政治家なんかでもね。
でもこれが罠で、必ずしも中年、壮年が20代より立派で教育的・指導的資質を持っているとは限らないと思うんです。
私が会った高齢の先生って、高齢であるほど死んだ目をしていたし、生徒に興味がない様子で、話題も合わなかったので。

私は教育志望の学生を教育に積極的に参加させるのもいいんじゃないかな、と思うんです。なんなら10代、20代のうちから
10代を指導する学生の若先生がたくさんいていいんじゃないかと。くたびれた、覇気のない、自己保身しかない加齢臭漂う中高年教師よりは、よっぽど機能するんじゃないかなあと。

私がこうした塾に恵まれたのは、家庭に資産があったおかげで、その家庭による格差さえ是正できれば地区に区分けされた公立高教育にこだわる必要はないんじゃないかと思うんですよね。
安倍政権が学費無償化を検討しているそうですけど、フランスみたいに初等教育から大学まで全額国が負担してくれるのなら
税金が上がってもやるべきだと思うしいいことだと思います。家庭間格差を是正できるから。(中央・地方出身格差はまだ残っていますが)

授業内容に関しても、所謂「読み書き算盤」に当たる国語教育と最低限の算数は絶対必須だ(あと外国語教育はあった方がいい)と思いますが、
それ以外は義務教育にする必要ありますか?って感じです。例えば歴史なんかでも、重要なのは近現代で、絶対詳しくなくても問題ない
趣味の領域の縄文時代とか時間かけてやる意味ある?って思うし、重要な現代、特に太平洋戦争の分解を重点的にやって、現代から逆順に遡って教えるべきだと思うんですよね。
義務教育ではないですが、公立高校の世界史なんて、日本史と直接関係ない例えばローマ帝国の興亡史とかの国外の歴史までいちいち詳しく学ぶ必要あるかな?と思うし、無駄がすごく多く感じる。産業革命と黒船、グローバリズムと帝国主義の時代で世界大戦へ、とかなら意味あると思いますが。
そんなの教えるくらいなら、「子供の育て方、虐待防止、DV防止」とか「経済学、買い物の仕方、ものの売り方、仕入れ方」
「起業シミュレーション・プランニング・プレゼン」「様々な体験学習、職業訓練」「情報・ネットリテラシー」「反差別・グローバル教育、在日外国人やLBGT、障害者との交流授業」
「労働者の権利、組合の作り方、企業との戦い方と法律」「ワード・エクセル」「敬語教育・マナー・営業」「家事(家庭科よりもさらに本格的に)」
「政治・投票シミュレーション、◯◯主義とは何か?自分の政治信条は?」「宗教との共存・カルト宗教問題」「健康学・健康維持のコツ」
「人権」「ジェンダー」「日本国憲法と刑法、裁判の仕組み」「討論、怒らないで話を聞く方法・違いの認め合い方」「もの作り・商品開発・アイデアの閃き方」とかをやらせた方がいいと思うんですよね。
そこに「いじめ防止学・パワハラ・モラハラ防止学」も入れるべきではないかと。倫理とか道徳とかってふわっとした授業ではなく、ピンポイントにやるべきだと思うんです。
生きるために今後絶対使いそうなものを子供の頃教えた方が、生活力格差や家庭環境格差を緩和できるのではないかと。

宿題もドリルとか反復作業をやらせるより小学生から論文・レポートを(作文形式ではなく、論文として)積極的に書かせるべきじゃないかなあと思うんですけど。他(特に理科、社会と日常に必要ない数学)は選択式専門教育で良くないですか?
スポーツ・音楽・ダンス・美術も「興味のある子がやればいい分野」だと思うし。

大人になったあと生きるためにほぼ必ずやることやかなりの確率でやることになることを教えず、ただ受験に必要なだけで
大人になったらほぼ使わないことを教える単純教育、人をふるい分けるだけの教育も見直すべきじゃないかなと。
最終的にいじめとは違う問題の話になってしまいましたが、長々とすみません。

藤川様、ごぶさたしております。
有意義な議論が起こり、いじめ論の一般的水準を引き上げる効果が生まれることを期待いたします。
私はもっぱら原理的なメカニズムの考察をしてきましたが、最も得意なことに時間と労力を割きたいという凹凸系人間の習性によるものです。その時々の局面や時流に応じた個別具体の問題は、原理的なメカニズムを背景知識としてもちながら、保守的実践思考を必要とすると考えております。実は、多くの人が抱いているらしい印象とは逆に、私はその方面ではそこそこ保守的(ラディカル保守)でもあります。
 問題は、あれかこれかではなく、あれもこれもであり、それぞれの水準わけと、重みづけの配置とデザインにあるように思われました。水準わけに関しては『いじめの社会理論』(柏書房)のpp.107-111(問題解決アプローチのさまざまな水準とその位置づけ)で短く指摘しました。また、「非現実的」「実現不可能」「過激」という問題については、「いじめ研究の射程と批判への応答」(『こころの科学』1013年7月号,pp.94-95)で、ほんの短い1パラグラフで指摘しました。
 この手のものがあまり出てこないのは、私の個人的な情熱が原理的考察に向かっているからで、この数年は、「学校の秩序分析から社会の原理論へーー暴力の進化理論・いじめというモデル現象・理論的ブレークスルーーー」『岩波講座現代 8』で構想を発表したような研究に没頭しております。
 それでも出版社から、一般読者のために個別具体的なことをまるまる一章を割いて書くようにせっつかれて、書いたものがあります。『いじめ加害者を厳罰にせよ』(ベスト新書https://www.amazon.co.jp/dp/4584123861/)の第五章(「個人はいじめにいかに対処するか」)です。
 ここでは個別具体の「にがみ」を強調しております。 おそらく、政治過程や政策にもっていったり、一般大衆を説得するとか、世論を動かすとか、今までゆでがえるのようになっていたであろうひとつひとつの現場を別のリアリティに誘導するとか、そういったことは、とても「にがい」領域であろうと推察されます。

 原理的メカニズムの領域と「にがい」領域を、あれかこれかではなく、あれとこれの最適なリンクというしかたでつなげるデザインが必要と思います。今までこのリンクが足りなかったように思われます。

藤川さんや宇野さんのような一流の知性によるおもしろい議論から、このリンクが発展するとよいなと思いました。

内藤朝雄

内藤さん、コメントをいただきましてありがとうございます。内藤さんのこれまでのご議論からは多くのものを学ばせていただいており、学校現場に近い立場にいる者として何ができるかを考え、実践的な研究を重ねてまいりました。宇野さんと議論させていただく機会が実現できるようであれば、内藤さんにご参加いただけると大変ありがたいと思っております。
「にがい」領域の議論に踏み込まなければならない時期なのかもしれません。これからもよろしくお願いします。

こういう有意義な成果が期待できそうなものには、よろこんで参加させていただきます。
3人よることで、1人ではできない集合知が生まれそうで楽しみです。

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