Twitter

July 2022
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

テレビ番組

2013.09.28

「あまちゃん」における「不在」から「存在」への転換について

 本日、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が最終回を迎えました。私は物心ついて移行朝ドラをずっとほぼ毎日見続けており、ここ20年くらいは1話も欠かさず見ています(他のドラマもほとんど見ていますが)。ですから当然「あまちゃん」も全話見たわけですが、物語の当初からいろいろと考えさせられ、今週は他の多くの仕事で慌ただしい中でも、「あまちゃん」についていろいろと考えて過ごしました。Facebookで何回かこのことを投稿してきましたが、多くの方から反応をいただいたこともあり、このタイミングであらためてブログに書いておこうと思います。

 私が「あまちゃん」で最初に違和感を覚えたのが、アキの祖父である忠兵衛が実は生きていたことがわかったときでした。だって、アキの祖母・夏は、家の仏壇に忠兵衛の写真を飾ってよく拝んでいたのですから、当然忠兵衛は死んだと思うではないですか。実際、アキもその母・春子も、忠兵衛は死んだと思っていました。こんなに堂々と視聴者を欺くのかと、これには違和感を覚えました。

 また、鈴鹿ひろ美のデビュー曲「潮騒のメモリー」を歌っていたのが、小泉今日子扮する春子であったことにも唖然とさせられました。小泉今日子の歌が妙にはまると思わせておいて、実は最初から歌っていましたという話になる。冗談が過ぎると思わされました。

 そして今週、薬師丸ひろ子扮する鈴鹿ひろ美が、チャリティライブにて「潮騒のメモリー」を上手に歌い上げたときに、これまでのあらゆることが一気につながったように感じました。で、9月25日に以下の文章をFacebookに投稿しました。

------------------------------------------------------------
「あまちゃん」の最後から4番目の回が放送されてしまいました。多くの視聴者が薬師丸ひろ子が実は歌がうまいということを知っている中で、何ヶ月も「音痴」という設定で引っ張ってきた挙げ句、ここに来ての薬師丸ひろ子バージョンの「潮騒のメモリー」。

思えば「あまちゃん」は、「不在」を印象づけることと「存在」にひっくり返すことの繰り返しでした。

・夏ばっぱの娘、春子への愛情の不在と、実は春子の旅立ちを見送っていたというエピソード。
・アキの祖父、忠兵衛の不在と、実は死んでおらず世界を旅していたという話。
・プロデューサー太巻こと荒巻の春子やアキへのあたたかい感情の不在と、アキの演技に涙して映画の主演に抜擢してしまうあたたかい思い。
・太巻や鈴鹿ひろ美とアキたちの関係の不在と、春子の若い頃のエピソードを介したつながりの存在。
・アキの両親の夫婦愛の欠如と、一緒に芸能事務所を作ってしまうことで確認される夫婦の絆。
・倒れてしまった夏ばっぱと、療養を経ての復活。
・夏ばっぱのことを覚えているはずのない橋幸夫の登場と、夏ばっぱについての明確な記憶の存在。
・東日本大震災を描くことで北三陸の人々の命が失われてしまうのではないかという予測と、登場人物すべてが生き続けた震災後。
・震災で中止となったアキとGMTの共演の、北三陸での実現。
・アイドルになるはずだったユイの不在と、震災後のアキとのコンビ復活。
・ユイの家族の崩壊と、復活。
・震災でとれなくなったウニの復活成功。
・現代にいるはずのない若き日の春子が、ときどきアキに見えてしまう。
・勉さんの弟子としての水口の不在と、師弟関係の復活。

「あまちゃん」の世界は、一見何もないようでいて、「あったらよかったのにない」と思われたすべてのものが実は「ある」世界。だから見る人に優しく、見る人を癒やすのだろうと思います。

ということで、残りの3回で気になるのは、まだひっくり返される「不在」があるのか、ということです。薬師丸ひろ子の歌の不在まで存在にひっくり返されてしまい、もう大きな「不在」は残っていないように思います。あるいは逆に、たしかに存在していた何かが不在へとひっくり返されてしまうことがあるのか(たとえば主要人物が亡くなってしまうとか)も気になります。

私が気になっているのは、アメ横女学園の元センターで不遇のまま去ってしまったマメリンこと有馬めぐの去就です。番組公式ページの人物紹介に載っている人のうち、マメリンだけが不在のままなのです。

そして、私たち「あまちゃん」を楽しみにしていた視聴者にとっては、9月29日以降、「あまちゃん」は不在となってしまいます。実に、悲しいことです。(泣)
------------------------------------------------------------

 この時点で私はまだはっきりとは気づいていませんでしたが、「あまちゃん」でひっくり返されていた「不在」から「存在」のひっくり返しの中で特に重要だったのは、人の「不在」としての「死」から人の「存在」としての「生」へのひっくり返しでした。それは、鈴鹿ひろ美の機転によって修正された「潮騒のメモリー」の歌詞に象徴されます。すなわち、もともと「潮騒のメモリー」では「三途の川のマーメイド」とまさに「死」につながる奇妙な表現があったのですが、鈴鹿ひろ美は被災地の人たちに「三途の川」はまずいと言い出し、結局「三代前からマーメイド」という歌詞に変更してしまいました(「三代前から」だと四代にわたることになるのですが、そのあたりは気にせず…ということにしましょう)。

 忠兵衛さんの写真が飾られていたり、夏が倒れたりと、アキにとって大切な誰かが死んでいる、あるいは死んでしまうのではないかという予感が、「あまちゃん」には常にありました。そして、東日本大震災で大切な人たちが死んでしまうのではないかとも考えられました。しかし、結局、「あまちゃん」では誰も死にませんでしたし、死んだ人についての回想もありませんでした。私の記憶では、誰も死んでいない、誰も死なない朝ドラは、他にはないように思います(多くの朝ドラではヒロインの幼少時代から大人になるまでの長期間が描かれるため、祖父母や両親が亡くなる描写が入ります)。

 最終回を見てそんなことを考え、先ほどFacebookに次の文章を投稿しました。

------------------------------------------------------------
「あまちゃん」終了。最終回も、これまで重要な場面をことごとく逃していたアキの父・正宗がお座敷列車に乗れたり、恐竜の骨の発見の栄誉は逃したものの洞窟が観光スポットになって勉さんも少し報われたりと、不遇だった人たちに優しい内容でした。東京編メンバーとしては純喫茶アイドルのマスターが一瞬だけ登場して、東京とのつながりも残されていました。

鈴鹿ひろ美の機転によって「潮騒のメモリー」の「三途の川のマーメイド」の歌詞が「三代前からマーメイド」に修正されたことが、「あまちゃん」の世界を象徴的に表していたと思います。死をイメージさせる「三途の川のマーメイド」という言葉が最終週に消え、夏や春子からバトンを受け継いだヒロイン・アキを示す「三代前からマーメイド」象徴する言葉に変わり、あらゆる「不在」が「存在」に変わる「あまちゃん」の世界が完成しました。仏壇に写真が置かれていたアキの祖父・忠兵衛、病に倒れた夏、北三陸鉄道で震災にあったユイなど、死が想像される場面が多かった「あまちゃん」から、歌詞の修正によって死のイメージが消え去りました。

「潮騒のメモリー」が最終回に流れましたが、さまざまな回想シーンを入れずに、アキとユイ→春子→鈴鹿ひろ美と「潮騒のメモリー」の歌がリレーされました。これは、ようやく二人で歌えるようになったアキとユイ、この物語の発端を作り要所要所で物語を支えてきた春子、最後に物語を完成させた鈴鹿ひろ美の三者がつながることで、半年の内容のすべてを振り返ることになったということでしょう。鈴鹿ひろ美バージョンはもともと海女カフェライブのスローテンポなものでしたが、薬師丸ひろ子の歌のアップテンポバージョンもあったのですね。「あまちゃん」の音楽は、最後まで素晴らしかったです。

「あまちゃん」では、地元を捨てて都会に出るか夢を諦めて地元に残るかという二分法は最後には否定され、アキとユイは地元にいながら都会の人からも注目されるアツいアイドルとして活躍することで2013年の現在に至りました。地元も捨てず夢も諦めない生き方は、欲張りで無謀で失敗の可能性が高いと言えるかもしれません。しかし、そういう生き方もあるかもと思える人が多くなれば、「あまちゃん」なき明日からの世界は、けっこう面白いものになるかもしれません。
------------------------------------------------------------

 「あまちゃん」を愛した私たちの課題は、「あまちゃん」なき明日からの世界を、それぞれの場所から「けっこう面白いもの」にすべく動くこと。ややマジメにそんなことを考えています。

2012.05.23

「メディアのめ」でメディアの基礎を学ぶ

 とある目的で書いた原稿なのですが、当初の目的では使われなくなったので、ここに掲載します。

---------------------------------------------------------------------

「メディアのめ」でメディアの基礎を学ぶ


                            千葉大学教育学部教授 藤川大祐


写真の撮り方、どう教える?

 20年前と現在の教育環境で大きく変わったことの一つに、写真利用の容易さがある。

 フィルム式カメラしかなかった時代には、写真の活用には費用も手間もかかり、日常の授業で手軽に使うことはできなかった。だが、デジタルカメラが普及した現在では、教師も児童生徒も日常的に写真を撮り、スクリーンやテレビ画面に映したり、紙にプリントアウトしたりして活用することができる。加工して資料の中に入れることも容易だ。タブレット端末等、カメラを内蔵した情報機器も多くなっており、児童生徒が1人1台カメラ機能のある端末を常時使うことさえ、現実的になってきた。

 デジタルカメラやタブレット端末で写真を撮ることは、基本的に難しくない。大きい液晶画面で構図を確認でき、焦点や明るさは自動調整される。失敗したら撮り直し、気に入った写真だけを残せばよい。フィルム式カメラと比較すれば、撮影は飛躍的に易しくなった。

 しかし、それでもあえて、写真撮影について児童生徒に学んでほしいことがある。それは、「サイズ」や「アングル」で、写真が大きく異なるということだ。「サイズ」とはアップやルーズなど、どの範囲までを写真におさめるかということ。「アングル」はカメラを水平方向に向けるか、上方向や下方向に向けるか、ということ。

 たとえば、小学校低学年の児童が土に生えている小さな草の花を撮影しようとするとき、なんとなく上からルーズで撮影すると花の様子が伝わらないであろうが、水平に近いアングルで近くからアップで撮れば、花の様子が迫力をもって伝わる写真が撮れるだろう。


メディアの基礎を学ぶ「メディアのめ」

 この写真の撮り方のように、メディアとかかわるために知っておいたほうがよいことは、多くある。こうしたことを扱うための教材であまりよいものがなかったが、2012年4月よりNHK Eテレ(教育テレビ)で放映されている「メディアのめ」は、こうしたメディアに関する基礎を学べる番組だ。私はこの番組の番組委員をつとめており、多くの方に活用していただくことを願っている。

 「メディアのめ」の概要は、以下の通り。

放送 月曜日朝9:25~9:35、土曜日朝6:35~6:45 (原則として2週ずつリピート放送)
出演 池上彰、安保泰我
各回のテーマ(全20回)
  写真/音/ポップの言葉/新聞/パッケージ/統計・グラフ/ホームページ/雑誌/アニメーション/CM/ニュース/インタビューの編集/ドキュメンタリー/ドラマ撮影/ステレオタイプ/ケータイ(メール、ゲーム、危
険)/著作権/検索

 第1回では、「写真一枚で世界を切り取れ!」というタイトルで、サッカーの試合の一瞬を撮影した写真やイラクのフセイン像が倒される状況を撮影した写真が取り上げられ、池上さんが中学生の安保君と、「サイズ」を中心に写真について考えていく。

 番組ホームページでは、放送済みの回を動画で視聴できるほか、関連の素材等も掲載されている。メディアを活用する能力は現代を生きる力であるが、これまでは適切な教材があまりなかった。学校の状況に合わせて、この番組が活用されることを願っている。

2011.05.13

日本テレビ「スッキリ!!」番組サイトにお詫び文が掲載

 3月7日(月)の日本テレビ「スッキリ!!」で私のコメントが不当に使われた件について、本日、番組サイトお詫びの文章が掲載されました。

 私としてはこれをもってこの件の終結としますが、最後に総括的なことを書いておきたいと思います。

 振り返ると、今回の件でポイントは2点あったと考えます。第一に、無理にコメントを一定の文脈に入れようとする番組づくりの姿勢です。第二に、コメンテイターの暴言を許す姿勢です。今回のお詫びの文章ではこれらの両方の点にふれていただいているので、私としてはここまでにしようと考えました。

 このように公式の文章が公開されたのですから、今後はこうした点について改善がなされていくことを期待します。おそらく、現在でもすでに、改善のための取り組みがなされているのだろうと思います。

 それにしても、結局は担当ディレクターからも暴言を吐いた出演者からも、直接謝罪のご連絡をいただくことはありませんでした。このことについては、現在でも完全に納得しているわけではないことをつけくわえておきます。自分では謝罪せず局の役員に謝らせるという姿勢の人たちとかかわってしまったことを、残念に思っています。


関連エントリー

日本テレビ「スッキリ!!」でのコメントの扱いについて(2011.3.8)
日本テレビ「スッキリ!!」でのコメントの扱いについて(2)(2011.3.9)
日本テレビ「スッキリ!!」でのコメントの扱いについて(3)(2011.3.10)
日本テレビが遵守すべき放送基準について(2011.3.11)


【追記】

お詫び文書が掲載されてから数時間後の本日16時過ぎに、番組ページからお詫び文書へのリンクが削除されていることが判明しました。担当プロデューサーに確認したところ、担当者のミスで削除されたものだとのことで、現在ではリンクが復活しています。ミスとは言え、お詫び文書の重みはこの程度だったのかと、残念でなりません。
(2011.5.13 17:35)


2011.03.25

地震後2週間経過、テレビ番組の構成を考える

 今日で地震から2週間。当初からテレビのあり方、特に子どもたちに与える影響について意見を述べてきたが、現時点でのテレビの状況について考えられることを書いておきたい。昨日までもランダムにいろいろな番組を見てきたが、本日朝についてはチャンネルを替えながらいろいろな番組を意識的に見ている。以下は私が見た範囲の番組が根拠であり、私が見なかった番組で異なる状況が生じている可能性が否定できないことはお断りしておく。

 3月14日の記事「地震から4日目を迎えて、テレビ各局へのお願い」で書かせていただいた内容については、大きな改善が見られていると感じている。すでに番組編成は基本的には通常に戻り、津波等の悲惨な映像が繰り返し流されることもなくなった。不適切なバッシングをしない等の配慮も見られる。各テレビ局が方針を公表しないことは残念ではあるが、日々変わる状況の中で試行錯誤を繰り返していると考えれば、方針の公表に踏み切れないことも仕方がないのかもしれない。

 Twitterでの発言を探しても、テレビへの不満はかなり減っていると感じられる。試みに昨日、気になることはないかと問いかけてみたが、出てきたのは官房長官記者会見での手話の映像が民放では映らないことが多いという指摘のみであった。もちろん、手話についてはせっかくつけてもらうことができたのだから、ワイプで必ず入れる等の配慮をお願いしたい。被災地では字幕放送を見られないことも多いであろう。

 他方、テレビ局、特に民放の番組のつくり方について、構造的な限界が感じられることを指摘しなければならない。民放各局の番組では、被災地のガソリン不足、原発から30km前後の地域の孤立、原発の状況、首都圏の水道水の放射能といったテーマを決め、そこにあてはまる情報を取材し、伝えるという形での番組づくりがなされている。このような番組づくりでは、取材の過程で新たな視点につながる情報が得られても、番組には反映されにくいと感じられる。被災地の状況も関連する専門的な知識もない芸能人等が、「水の買い占めはやめましょう」などというメッセージを発するだけのコーナーすら見られる。

 テレビ局は、「伝える」ことが仕事だと考えているのであろう。だから、伝える内容を決めて、ひたすら伝えようとする。だが、現時点で必要なことは、一人一人の声をもっと丁寧に聴くことではないか。今、被災者や支援者で起こっていることは、当事者に発信してもらわなければ何もわからない。あらかじめテーマを決めてそこにあてはめる手法では、当事者は「聴いてもらえなかった」という思いを抱きかねない。そして、そのことはテレビ番組を通して、視聴者にも伝わってしまう。

 私も経験しているが、テレビ局の取材を受けた人が「言わせたいことを言わせようとしていて、自分の話を丁寧に聴いてもらえない」という経験をしている人は多く、今回の震災はそうした経験を多くの人に広げてしまっている恐れがある。当事者一人一人の話を丁寧に聴き、問題解決についてともに悩み取り組むという番組づくりを検討することはできないのだろうか。今、テレビ局のスタッフは過酷な状況の中、多くの批判を浴びつつ、懸命に番組づくりをしているのだと思う。そうした努力を、方向転換をしながら進めてもらうことはできないのだろうか。

 NHKの「あさイチ」では、地震保険、睡眠不足、肩こり等、被災者が実感として抱えている課題を専門家も招いて非常に具体的に扱い、番組では多くのFAXが紹介されている。これは、民放とは違う恵まれた条件で番組づくりができる、NHKならではのやり方なのかもしれない。ぎりぎりの予算で動いている民放では、そんなことはやれないと言われそうである。だから、NHKと比較して民放を批判することは、避けたい。民放ならではの工夫で、当事者の声を丁寧に聴く番組をつくってほしい。

【追記】(2011.3.25 9:57)

 本日Twitterに「日テレ「スッキリ!!」。ペットボトルの買い占めが不要ということを出演者一同で訴えています。が、こういうことを言えば言うほど不安になるということ。善意はわかるのですが、騒がないという選択肢もあるはず。」と書いたことについて、以下補足させていただきます。

「~をするな」という主張は、そのことの深刻性を印象づけます。「~をしよう」という肯定的な主張がなければ、不安をあおるだけです。看過せよということでなく、表現に工夫をと主張いたします。タレントさんが根拠なく買い占めをやめようと言うのでなく、水道水をより安全に使うノウハウを伝える等、違う方法を工夫していただくことはできないのでしょうか。

2011.03.16

日本テレビ「スッキリ!!」における悲惨な映像の扱いについて

 テレビ各局へのお願いについて、昨日、日本テレビ「スッキリ!!」担当管理職の方より、社の上層部も「ご指摘の通り」と認めていること、「まず映像面の配慮については今後、留意するべきことだと考えており情報番組のプロデューサーレベルでさきほど共通認識を持ちました」とのことのご連絡をいただきました。
 しかしながら、本日3月16日(水)の「スッキリ!!」を見ると、繰り返し、不要な津波の映像が流されています。どのような配慮がなされているのか、不明です。一定の方針で津波の映像を流すというのであれば理解できますが、方針が示されていないため何の配慮もされていないのではないかという懸念を抱きます。
 これまでの経緯からもうかがわれるように、少なくとも「スッキリ!!」に関しては、管理職レベルがおっしゃることと実際の番組との間には乖離が大きいと考えられます。これは非常にまずいことです。
 各テレビ局が震災関連報道についての方針を明示し、担当ディレクターが方針に基づいて番組を作れるようにすべきです。

2011.03.11

日本テレビが遵守すべき放送基準について

 日本テレビ「スッキリ!!」の件に関して、日本テレビの放送基準がどのようになっているかを確認しておきます。

 日本テレビは「個々の番組および広告の放送にあたって守るべき基準の細目については「日本民間放送連盟・放送基準」を準用するものとする。」としています(日本テレビ番組基準より)。基本的に民放各局は民放連の放送基準を準用するということにしているようです。

 民放連の放送基準は、こちらに掲載されています。こちらには、解説文も掲載されています。

 放送基準の第2条には「個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。」とあり、第32条には「ニュース報道にあたっては、個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように注意する。」とあります。さらに、第48条には「不快な感じを与えるような下品、卑わいな表現は避ける。」とあります。

 情報バラエティ番組は「ニュース報道」とは区別されるのではないかとも考えられますが、第31条解説には「ドキュメンタリーや情報系番組においても虚偽や捏造が許されないことはもちろん、過剰な演出などにならないように注意する。」とありますから、情報バラエティ番組が第32条の規定を免れるとは考えられません。

 今回の「スッキリ!!」におけるコメンテイター、勝谷誠彦氏の発言は私のコメントVTRを受けて「ほんと馬鹿な論議してるね、あの先生、俺ちょっとおかしいんじゃないかと思うね」と言っていました。これは明らかに、個人の名誉を傷つけるような取り扱いであり、下品な表現であると考えますが、日本テレビはそうは考えないのでしょうか。

 勝谷氏は私の発言を誤解していたために、こうした発言をされたと考えられます。しかし、たとえ誤解がなく、事実に基づいて同様の発言を行っていたとしても、個人の名誉を傷つけるものであることに違いありません。第2条の解説では「名誉毀損は、公然と事実を摘示し、個人や団体、法人などの「社会的評価」を低下させるおそれのある状態を生じさせることによって成立する」と書かれています。事実を提示して社会的評価を低下させるおそれのある状態を生じさせることが名誉毀損であると、明記されています。

 昨日お話しさせていた管理職の方は、こうしたことを全く理解されていませんでした。日本テレビが放送基準に従って放送していると言うのであれば、勝谷氏の発言を放送し、少なくとも2日間、特に何の対応もしなかったことが、放送基準第2条、第32条、第48条に違反しているか否かについての説明がなされてしかるべきです。情報バラエティ番組担当の管理職がこうした説明ができずに、何のための放送基準なのでしょうか。

 放送による人権侵害については、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会が対応しています。対象について「名誉、信用、プライバシー、肖像等の権利侵害、およびこれらに係る放送倫理違反に関するものを原則とします。」とありますので、名誉を傷つけられた場合の申し立てを受け付けてくれることがわかります。ただし、まずは放送局に連絡してほしいと言われています。「苦情の申立てに対しては、まず放送局が真剣に受け止め、解決に当たります。」とあります。今回の件で言えば、現在はこの段階です。

 これで解決しない場合については、BPOが申し立てを受け付けてくれます。「放送局との話合いでは問題が解決せず、放送人権委員会の審理を求めたい場合、電話・ファックス・郵便などの方法でその内容を放送人権委員会事務局に示していただきます。」とあります。申し立てがあった場合には、委員会が審理の対象とすべきかを決め、対象と決められた場合には審理がなされ、審理の結果が公表されることとなります。

 BPOのサイトには、過去の相談事例が掲載されています。今回の件に関係しそうなものとしては、以下の事例があります。

2003年度仲介・斡旋解決事案 
・「話の内容をねじ曲げられた」との苦情

2007年度仲介・斡旋解決事案
・「ラジオ番組で誹謗中傷された」との元局アナからの苦情

2009年度仲介・斡旋解決事案
・「インタビューの編集により誤解を招いた」との訴え

 研究者のコメントの扱いについては、特に事例はないようです。

 また、同じBPOの放送倫理検証委員会が出した「TBS『みのもんたの朝ズバッ!』不二家関連の2番組に関する見解」では、「根拠の薄い断定・断罪コメント」「放送前の打ち合わせの不十分さ」が指摘されています。今回の「スッキリ!!」の件とも通じる内容です。

 今回の「スッキリ!!」の件については、日本テレビが放送基準をどのように考えており、勝谷氏の発言をどのように評価しているのかをしっかりと確認したいと考えます。BPOへの申し立ても含め、対応を進めていきたいと思います。

2011.03.10

日本テレビ「スッキリ!!」でのコメントの扱いについて(3)

 私のコメントが日本テレビ「スッキリ!!」で不当に扱われた件で、日本テレビの担当プロデューサーから話をしたいという連絡がありましたので、先ほど訪問してプロデューサーの方と管理職の方に会ってきました。

 主に管理職の方とお話ししました。どのように名誉回復したらよいか話を聞きたいとおっしゃるので、こちらから以下の疑問をぶつけました。

・当初の筋書きと異なるコメントが得られた場合に、筋書きを修正するしくみはないのか。
・VTRを司会者が批判するのは番組意図がはっきりしないということではないのか。どういう意図の番組であったのか。
・番組前の打合せで出演者から内容についての疑問が出されたようだが、そのことで番組の内容を見直すことはできなかったのか。
・勝谷氏の発言は、たとえ誤解がなかったとしても暴言と思えるが、日本テレビの放送基準では許されるのか。許されないとしたら、制作者側が問題に気づいて、たとえば非難された私に対してまず連絡をとるといった方法をとるべきではなかったのか。

 管理職の方は担当ディレクターとまだ直接話していないとかで、上記の質問それぞれについて具体的な回答はいただいておりません。日本テレビの放送基準についても具体的な説明はありませんでしたし、「本来は出演くださった方には放送後にお礼の連絡をし、その場で問題があればわかることもあります」などと現場の実態とは離れた理念をおっしゃっていました。

 私からは、「日本テレビが今回のことを真摯に受け止めて、コメントの趣旨を無理に筋書きにあてはめることをしないとか、勝谷氏が行ったような暴言は認めないとか、そうした方針を掲げて放送倫理向上に取り組んでくださるということであれば、私は研究者として十分報いてもらっているので、名誉回復かどうかはわかりませんが、それで十分です。しかし、そんなことはできませんよね。でしたら、軽々しく名誉回復などとおっしゃっていただきたくはありません」とお話ししました。

 研究者のコメントが不当に扱われる例はこれだけではないと考えられますので、こうした問題に対してせめて一石を投じられればと思っています。また進展があれば書かせていただきます。

2011.03.09

日本テレビ「スッキリ!!」でのコメントの扱いについて(2)

 3月7日(月)放送の日本テレビ「スッキリ!!」で藤川のコメントが不当に扱われた問題に関して、昨日(8日)に日本テレビにメールを送信した件、本日(9日)17時近くに担当プロデューサーより電話をいただきました。

 真摯に謝罪の言葉を述べていただき、「うかがって事情をご説明したい」と言ってくださいましたが、いらしていただくことはお断りしました。ご説明は、公開できる形で文書でいただきたいですし、謝罪でなく名誉回復を求めたいとお話ししました。

 私は、日本テレビについてはこれまでのおつきあいの中で感謝もしていますし、信頼もしていたつもりです。2000年に私たちは「メディアリテラシー教育研究会」を発足させ、多くの方々のご協力をいただきながら授業や教材の開発を進めてきました。当初から、日本テレビのメディアリテラシー担当の方が私たちの活動に強く共感してくださり、カメラの方、営業の方、アナウンサー、マーケティングの方、スポーツ担当の方等、多くの方を研究会の講師にご紹介いただきました。また、日本テレビのメディアリテラシー番組「メディア・マガジン」にはずっと関わらせていただき、大学生が小学生とともにビデオを作ったり、番組の裏側を見させていただいたりと、大変お世話にもなりました。千葉大学の授業「メディアリテラシー教育」にもご協力いただき、プロデューサーの方にお話をいただきました。私たちのメディアリテラシー教育に関する取り組みを支えてくださった大きな柱が、日本テレビの方々でした。

 私なりに日本テレビに貢献させていただいた自負もあります。特に、2003年に発生した視聴率操作問題をめぐって、信頼回復策の一つとして取り組まれた視聴者による番組制作の企画では、私がまとめ役のような立場で関わらせていただき、視聴者代表の方々と繰り返し議論を重ね、番組企画を作るお手伝いをさせていただきました。

 Twitterで多くの方々からリプライをいただいた中に、制作側があらかじめ定めたストーリーの中に研究者のコメントを入れ込もうとするところに無理があるとか、コメントが恣意的に編集されてしまうといったご指摘が多くありました。もちろんこうしたことは問題ですが、報道番組や情報番組ではどうしてもそうした作り方が必要な部分はあるとも考えられます。私としては、そのようなレベルのことを問題にしたいのではありません。

 今回、私は、手軽にネットに頼る行為とカンニングとの関係は短絡的にとらえられてはならない、ネットが普及して私たちの感覚は変わりつつあるが、ネットを利用すること自体はよいことである、ただネットを通して他人に頼ることに依存してはまずい、という見解をもってコメント収録に臨みました。コメントの一部が切り取られ、編集されることは覚悟の上で、ネット利用自体を否定しないこと、過度に単純に問題をとらえられることがないよう配慮して、発言したつもりです。しかし、私のコメントにつけられたナレーションが、あたかも私が短絡的にネット利用の害悪を指摘しているかのような誤解を与え、司会者からは「短絡的」と言われ、コメンテイターからは「馬鹿な議論」「おかしいんじゃないかと思う」などと非難されました。

 ある程度番組の構成を考えながら、担当者は取材を進めるでしょう。そして、構成に合うようにコメントをとろうとするでしょう。ここまでは必要なことです。しかし、実際に得られたコメントが予測と異なるものだった場合には、当然、番組の構成を修正しなければならないはずです。今回の場合で言えば、コメント収録が前日の夕方17時過ぎでしたから、放送までに番組の構成を修正する余地は十分にあったはずです。ナレーションを私の話の内容に合わせたものに調整することができなかったはずはありません。

 番組の中でコメンテイターの一人が、「今朝の打合せでこの話題はもうやめようと言った」と発言していました。司会者も、「ネットで検索しやすくなったからカンニングにつながる」ということを否定的にとらえていました。当日放送前の打合せでも、番組内容を修正する必要が明らかになっていたことがうかがわれます。

 日本テレビは、このような状況でも、番組の構成を修正することができない体制で放送を出しているのでしょうか。もしそうだとすれば、危なくてコメントなどできません。不適切な放送になりそうなときに、修正する体制がとれないのでしょうか。これまで日本テレビと関わらせてもらってきた立場としては、そのような体制をとってほしいと期待したいところです。

 私の意見は、むしろ番組司会者やコメンテイターに近いものでした。少なくとも、お二人には私の意図をご理解いただきたいと考えています。その上で、司会者やコメンテイターには、数百万人に向かって「短絡的」「馬鹿な議論」「おかしいんじゃないか」と不当に非難したことについてのご発言をうかがいたいものです。

 多くの方から、「スッキリ!!」で言われていましたね、と言われています。Twitterでも指摘されました。メディアリテラシー教育を研究する研究者として、メディアの利用について非難されるような発言をしたという印象を多くの方に与えたことは、研究者として大きな被害を受けたということなのだと思います。今後も日本テレビには、私の名誉回復をどのように考えていただけるのか、問うていきたいと思います。

2011.03.08

日本テレビ「スッキリ!!」でのコメントの扱いについて

 昨日放送の日本テレビ「スッキリ!!」で私のコメントが使用されましたが、使用のされ方が不当ですのでここに指摘しておきます。

 私の発言に先だって、「手軽にネットに頼る行為がカンニングにつながった可能性があると言います」と私がこのような「可能性」を話したかのように紹介しています。しかし、私はそのあとのビデオでも言っているように、「試験の範囲を教えてもらうのは悪いことはない」「宿題も自分でやってみた上でわからなくて誰かに聞くのはいいかもしれません」「最初から頼り切ってしまうのはまずい」「人に頼ると楽だから依存してしまうかもしれない」「従来以上に注意しなくてはいけない」と言っています。

 ところが、これを受けてスタジオでは、司会の加藤浩次氏が「ネットで検索しやすくなったからカンニングにつながるというのは短絡的すぎる」と受け、その後、コメンテイターの勝谷誠彦氏は「ほんと馬鹿な論議してるね、あの先生、俺ちょっとおかしいんじゃないかと思うね」などと暴言を吐いています。

 文脈上明らかに「あの先生」という言葉は私を指しています。言ってもいないことを言ったかのように編集され、コメンテイターに暴言を吐かれたわけです。

 日本テレビに厳重に抗議し、必要に応じて各所に知らせようと考えます。

2009.08.01

「ケータイ親子の道しるべ」放送が増えました

 私も監修者の一人であるNHK教育テレビ「ケータイ親子の道しるべ」がまもなく放送されますが、再放送予定が1回増えました。詳細も含め、以下に案内を掲載させていただきます。皆様ぜひご活用ください。

--
情報モラル番組
「ケータイ親子の道しるべ」のお知らせです。

本放送:平成21年8月 3日(火)  9:30~10:00 NHK教育テレビ
再放送:平成21年8月14日(金) 10:00~10:30 NHK教育テレビ
再放送:平成21年8月16日(日) 15:30~16:00 NHK教育テレビ

○内容
今回のテーマは〈ケータイとの賢いつき合い方〉。
ルール作りのポイントやコミュニケーションツールとしての新たな可能性を描きます。
ケータイは、この10年で急速に普及しましため、
大人も子どもも、その扱い方を学ぶ機会がありませんでした。
そこで、番組では、ケータイの賢い使い手になるためのノウハウや、
第1歩を踏み出すために、参考となる事例をドラマで紹介します。

番組は、2つのドラマで構成しています。
ドラマ1:【わが家のルール】
主人公は、中学1年生になった女の子。
ケータイを使うための「わが家のルール」作りのポイントを伝えます。
ドラマ2:【家族のキズナ】
ドラマを通して、メールや電話、対面などその時に応じた適切な伝え方で
コミュニケーションが深まる様子を描きます。

より以前の記事一覧