「あまちゃん」における「不在」から「存在」への転換について
本日、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が最終回を迎えました。私は物心ついて移行朝ドラをずっとほぼ毎日見続けており、ここ20年くらいは1話も欠かさず見ています(他のドラマもほとんど見ていますが)。ですから当然「あまちゃん」も全話見たわけですが、物語の当初からいろいろと考えさせられ、今週は他の多くの仕事で慌ただしい中でも、「あまちゃん」についていろいろと考えて過ごしました。Facebookで何回かこのことを投稿してきましたが、多くの方から反応をいただいたこともあり、このタイミングであらためてブログに書いておこうと思います。
私が「あまちゃん」で最初に違和感を覚えたのが、アキの祖父である忠兵衛が実は生きていたことがわかったときでした。だって、アキの祖母・夏は、家の仏壇に忠兵衛の写真を飾ってよく拝んでいたのですから、当然忠兵衛は死んだと思うではないですか。実際、アキもその母・春子も、忠兵衛は死んだと思っていました。こんなに堂々と視聴者を欺くのかと、これには違和感を覚えました。
また、鈴鹿ひろ美のデビュー曲「潮騒のメモリー」を歌っていたのが、小泉今日子扮する春子であったことにも唖然とさせられました。小泉今日子の歌が妙にはまると思わせておいて、実は最初から歌っていましたという話になる。冗談が過ぎると思わされました。
そして今週、薬師丸ひろ子扮する鈴鹿ひろ美が、チャリティライブにて「潮騒のメモリー」を上手に歌い上げたときに、これまでのあらゆることが一気につながったように感じました。で、9月25日に以下の文章をFacebookに投稿しました。
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「あまちゃん」の最後から4番目の回が放送されてしまいました。多くの視聴者が薬師丸ひろ子が実は歌がうまいということを知っている中で、何ヶ月も「音痴」という設定で引っ張ってきた挙げ句、ここに来ての薬師丸ひろ子バージョンの「潮騒のメモリー」。
思えば「あまちゃん」は、「不在」を印象づけることと「存在」にひっくり返すことの繰り返しでした。
・夏ばっぱの娘、春子への愛情の不在と、実は春子の旅立ちを見送っていたというエピソード。
・アキの祖父、忠兵衛の不在と、実は死んでおらず世界を旅していたという話。
・プロデューサー太巻こと荒巻の春子やアキへのあたたかい感情の不在と、アキの演技に涙して映画の主演に抜擢してしまうあたたかい思い。
・太巻や鈴鹿ひろ美とアキたちの関係の不在と、春子の若い頃のエピソードを介したつながりの存在。
・アキの両親の夫婦愛の欠如と、一緒に芸能事務所を作ってしまうことで確認される夫婦の絆。
・倒れてしまった夏ばっぱと、療養を経ての復活。
・夏ばっぱのことを覚えているはずのない橋幸夫の登場と、夏ばっぱについての明確な記憶の存在。
・東日本大震災を描くことで北三陸の人々の命が失われてしまうのではないかという予測と、登場人物すべてが生き続けた震災後。
・震災で中止となったアキとGMTの共演の、北三陸での実現。
・アイドルになるはずだったユイの不在と、震災後のアキとのコンビ復活。
・ユイの家族の崩壊と、復活。
・震災でとれなくなったウニの復活成功。
・現代にいるはずのない若き日の春子が、ときどきアキに見えてしまう。
・勉さんの弟子としての水口の不在と、師弟関係の復活。
「あまちゃん」の世界は、一見何もないようでいて、「あったらよかったのにない」と思われたすべてのものが実は「ある」世界。だから見る人に優しく、見る人を癒やすのだろうと思います。
ということで、残りの3回で気になるのは、まだひっくり返される「不在」があるのか、ということです。薬師丸ひろ子の歌の不在まで存在にひっくり返されてしまい、もう大きな「不在」は残っていないように思います。あるいは逆に、たしかに存在していた何かが不在へとひっくり返されてしまうことがあるのか(たとえば主要人物が亡くなってしまうとか)も気になります。
私が気になっているのは、アメ横女学園の元センターで不遇のまま去ってしまったマメリンこと有馬めぐの去就です。番組公式ページの人物紹介に載っている人のうち、マメリンだけが不在のままなのです。
そして、私たち「あまちゃん」を楽しみにしていた視聴者にとっては、9月29日以降、「あまちゃん」は不在となってしまいます。実に、悲しいことです。(泣)
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この時点で私はまだはっきりとは気づいていませんでしたが、「あまちゃん」でひっくり返されていた「不在」から「存在」のひっくり返しの中で特に重要だったのは、人の「不在」としての「死」から人の「存在」としての「生」へのひっくり返しでした。それは、鈴鹿ひろ美の機転によって修正された「潮騒のメモリー」の歌詞に象徴されます。すなわち、もともと「潮騒のメモリー」では「三途の川のマーメイド」とまさに「死」につながる奇妙な表現があったのですが、鈴鹿ひろ美は被災地の人たちに「三途の川」はまずいと言い出し、結局「三代前からマーメイド」という歌詞に変更してしまいました(「三代前から」だと四代にわたることになるのですが、そのあたりは気にせず…ということにしましょう)。
忠兵衛さんの写真が飾られていたり、夏が倒れたりと、アキにとって大切な誰かが死んでいる、あるいは死んでしまうのではないかという予感が、「あまちゃん」には常にありました。そして、東日本大震災で大切な人たちが死んでしまうのではないかとも考えられました。しかし、結局、「あまちゃん」では誰も死にませんでしたし、死んだ人についての回想もありませんでした。私の記憶では、誰も死んでいない、誰も死なない朝ドラは、他にはないように思います(多くの朝ドラではヒロインの幼少時代から大人になるまでの長期間が描かれるため、祖父母や両親が亡くなる描写が入ります)。
最終回を見てそんなことを考え、先ほどFacebookに次の文章を投稿しました。
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「あまちゃん」終了。最終回も、これまで重要な場面をことごとく逃していたアキの父・正宗がお座敷列車に乗れたり、恐竜の骨の発見の栄誉は逃したものの洞窟が観光スポットになって勉さんも少し報われたりと、不遇だった人たちに優しい内容でした。東京編メンバーとしては純喫茶アイドルのマスターが一瞬だけ登場して、東京とのつながりも残されていました。
鈴鹿ひろ美の機転によって「潮騒のメモリー」の「三途の川のマーメイド」の歌詞が「三代前からマーメイド」に修正されたことが、「あまちゃん」の世界を象徴的に表していたと思います。死をイメージさせる「三途の川のマーメイド」という言葉が最終週に消え、夏や春子からバトンを受け継いだヒロイン・アキを示す「三代前からマーメイド」象徴する言葉に変わり、あらゆる「不在」が「存在」に変わる「あまちゃん」の世界が完成しました。仏壇に写真が置かれていたアキの祖父・忠兵衛、病に倒れた夏、北三陸鉄道で震災にあったユイなど、死が想像される場面が多かった「あまちゃん」から、歌詞の修正によって死のイメージが消え去りました。
「潮騒のメモリー」が最終回に流れましたが、さまざまな回想シーンを入れずに、アキとユイ→春子→鈴鹿ひろ美と「潮騒のメモリー」の歌がリレーされました。これは、ようやく二人で歌えるようになったアキとユイ、この物語の発端を作り要所要所で物語を支えてきた春子、最後に物語を完成させた鈴鹿ひろ美の三者がつながることで、半年の内容のすべてを振り返ることになったということでしょう。鈴鹿ひろ美バージョンはもともと海女カフェライブのスローテンポなものでしたが、薬師丸ひろ子の歌のアップテンポバージョンもあったのですね。「あまちゃん」の音楽は、最後まで素晴らしかったです。
「あまちゃん」では、地元を捨てて都会に出るか夢を諦めて地元に残るかという二分法は最後には否定され、アキとユイは地元にいながら都会の人からも注目されるアツいアイドルとして活躍することで2013年の現在に至りました。地元も捨てず夢も諦めない生き方は、欲張りで無謀で失敗の可能性が高いと言えるかもしれません。しかし、そういう生き方もあるかもと思える人が多くなれば、「あまちゃん」なき明日からの世界は、けっこう面白いものになるかもしれません。
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「あまちゃん」を愛した私たちの課題は、「あまちゃん」なき明日からの世界を、それぞれの場所から「けっこう面白いもの」にすべく動くこと。ややマジメにそんなことを考えています。
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